国東塔

県指定有形文化財(建造物)
昭和47年3月21日指定

旧所在地は不明。高さ269cm。巨石の上に、一重の基礎、反花、請花座、塔身、笠、相輪からなります。基礎は側面を二区に分け、格挟間が彫られてあります。基礎上部と反花座は一石で、反花は覆輪複弁、請花座は覆輪の単弁であります。塔身には主部がなく、棗形(なつめがた)。笠の軒裏には垂木型があり、露盤は二区に分けられています。相輪は完成しています。銘文はないですが、南北朝時代末ごろ作と推定されています。

参照:別府市文化財と保護樹(平成二十一年版)


国東塔 概要:大分県国東半島を中心に分布する宝塔の一種。一般の宝塔が台座を有さないのに対して、国東塔は基礎と塔身の間に反花または蓮華座、ものによっては双方からなる台座を有するのが外観上の最大の特徴。古い国東塔は単なる墓標ではなく、生前供養・追善供養・一族や寺門の繁栄のためにつくられたものも多が多い。年代としては、鎌倉時代後期の弘安6年(1283年)の銘がある岩戸寺国東塔が在銘最古のものである。以降、南北朝時代、室町時代を経て、江戸時代に至るまでの様々な時代の国東塔が確認されている。

向原石幢

県指定有形文化財(建造物)
昭和49年3月19日指定

読みは「むこうばるせきどう」。重制石幢で、基礎、幢身、竿、中台、龕(がん)部、笠からなります。総高250cm。複制の石幢(せきどう)。※龕(がん:仏像が彫ってある場所)。石幢の「幢(どう)」は旗章を意味し,インドではこれを石面に表して仏殿の前に立てました。中国へは唐・宋時代に伝わり,蓮華座の基台の上に《仏頂尊勝陀羅尼経》を刻んだ八角の長い石柱を立て,その上に中台,仏龕(ぶつがん),笠,宝珠をのせた大理石製の石造物をつくることが流行しました。鎌倉末期から室町時代に日本にもこの形式の石造物が導入されましたが,幢柱に経文を刻まず,地蔵信仰と結び付いて幢,仏龕ともに六角につくられ,一見石灯籠に似た小型のものが多くつくられました。

当石幢、幢身は上部がやや細めの方柱で、金剛界四仏の種子(ウーン・タラーク・キリーク・アク)を彫る。龕部は蓮華盤の請座の上に円筒形の中軸を立て、その周囲に六体の地蔵像が陽刻されていますが、この手法は福岡佐賀地方に多く、本石幢も福岡県方面から流出したものと思われます。大分県の場合、この様に厚く彫るのは近世以降になってからです。笠は六角形。銘文は幢身上部に種子(梵字)が各面に一字ずつ薬研彫で陰刻され、現在読めるのはわずかです。庚申信仰に関係あるものと思われます。推定西暦1568年製。

参照:世界大百科事典 第二版、別府市文化財と保護樹(平成二十一年版)

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